おかげさまで創業200周年。榮太樓總本鋪200周年プロジェクト第一弾 200年の歴史を綴った記念サイトを公開

株式会社榮太樓總本鋪(本社:東京都中央区日本橋1丁目、代表取締役社長:細田眞)は、創業200周年を記念しさまざまな企画を実施いたします。そのプロジェクト第一弾として、200年の歴史を綴った記念サイトを公開いたします。

URL: http://www.eitaro.com/200th/

画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/162814/LL_img_162814_1.png
200周年ロゴ

榮太樓總本鋪は今年創業200周年を迎えました。これもひとえに、永きにわたる皆様のご支援、ご愛顧の賜物として、深く感謝申し上げます。榮太樓總本鋪は、江戸時代の文政元年(1818年)に飯能の菓子屋、細田徳兵衛が江戸に出府した年をもって創業年としております(詳細は下記※)。徳兵衛は九段坂にて江戸での商売を始めますが、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる細田栄太郎(のちに社名となる)が平成の今に残るようなお菓子を次々に生み出しました。細田栄太郎が店舗を構えた日本橋の地に変わらず榮太樓總本鋪は本社を置き菓子業を営んでおります。次の200年のスタートを切るために今年4月に社是も新たにしました。「心の豊かさに挑戦する榮太樓」。おいしいものは人々の心を豊かにしてくれます。
これからも私たちは、安心安全でおいしいお菓子を作り皆様にお届けしてまいりたいと思っております。どうぞ、これまで同様に皆様の温かいご支援を賜りたくお願い申し上げます。

※ 文政元年(1818)から安政四年(1857)まで。
文政元年、それまで埼玉県飯能市で菓子商をしていた細田徳兵衛が、2人の孫を連れて江戸に出府。現在まで続く和菓子業の礎となる屋号「井筒屋」を構えた。時代は下り、徳兵衛の曾孫にあたる3代目細田安兵衛(幼名 栄太郎)の時に転機を迎える。栄太郎は幼い頃より、父とともに日本橋の袂にある屋台を切り盛りしていた。そこで焼く金鍔は「大きくて甘くて美味しい」と魚河岸の商人や軽子たちの評判を呼び、その噂は江戸中に広まったという。「家族を支える孝行息子」「気前の良さ」など、栄太郎の人柄の良さも愛された理由のひとつとなった。また、江戸時代には「流石武士の子 金鍔を 食べたがり」「年季増しても食べたいものは 土手の金鍔、さつま芋」といった、川柳や流行歌を詠まれた逸話もある。
やがて安政4年、旧名日本橋西河岸町(現在の榮太樓ビルの地)に独立の店舗を構え、自らの幼名栄太郎にちなんで屋号を「榮太樓」と改めた。


―― 創業200周年の取組みについて ――
■200周年ロゴ制定
https://www.atpress.ne.jp/releases/162814/img_162814_1.png
フレームを無くし、型にとらわれないで挑戦していく榮太樓總本鋪の姿勢を表現いたしました。
創業200周年記念のツール(クリアファイル、シールなど営業ツール)に記念ロゴ入りデザインで製作して配布しています。


■WEB「200周年記念サイト」立上げ
http://www.eitaro.com/200th/
コンテンツとしては、「榮太樓總本鋪200年の歴史」、「歴史動画」、「製法動画」、「記念商品の紹介」など。テーマは榮太樓總本鋪の200年史ですが、「各ブランドへのリンク」、「SNS各種」も充実させて、未来へ向かう様子も感じていただければと思います。

・動画(1)「歴史動画」
創業から現在までの200年間をイラストとその時代の写真を組合せてつなぎ合わせ、一連の絵巻ものに仕立てています。軽快な音楽にのせて、流れていく200年間を約3分40秒でご覧いただけます。テロップ表記は、日本語、英語、中国語(簡体)の3種です。

・動画(2)「梅ぼ志飴製法動画、及び、金鍔製法動画」
榮太樓總本鋪工場にて代表的な2商品の製造工程を撮影したものです。飴製造の「梅ぼ志飴」、生菓子製造の「金鍔」。モデルの佐藤愛美さんとともに、一緒に動画で“工場見学”を楽しんでいただけるような内容となっています。それぞれ約4分45秒です。テロップ表記は、日本語、英語、中国語(簡体)。

・Instagram(Facebook、Twitterへも連動)
お菓子の写真、工場内の製造写真、えいたろうの日本橋本店のなか。さらには日本橋の橋そのものまで。
現在、まだ立ち上げたばかりですが、これから随時UPしていきます。


■記念商品「榮太樓飴記念缶」販売
2018年10月発売予定。詳細はホームページ等で告知する予定です。


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プレスリリース提供元:@Press
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